女 優

2018年3月
藤村女子高等学校進学コース卒業

素の自分で過ごせた
藤村での3年間は、
人生のタカラモノです。

女優になろうと決めたのは、5歳の時。舞台「アニー」を観て感動して、あの舞台に絶対立ちたい!と思ったんです。すぐに親に相談して、事務所に入りました。それからずっと芸能界で仕事をしており、長期の撮影などがあって、藤村に在学中も欠席が多かったのですが、高校3年間は、先生方や友達に手助けしていただきました。そのおかげで学校行事はほぼすべて参加でき、沢山の思い出ができました。
いちばん嬉しかったのは、芸能関係の仕事をしていたのにも関わらず、当たり前のように分け隔てなく接してくれたこと。学校帰りに、校則で禁止されてた買い食いをしていたら「荒川!何食べてるんだ!」って、先生に怒鳴られたり(笑)。仲良し5人で井之頭公園でシャボン玉大会したのは本当に楽しかった!
本当に、恵まれた環境にある学校だと思います。駅前商店街の夏祭りの時は、学校から特別許可が出て、受験勉強してた仲間みんなでお祭りの屋台で買い物しまくって、食べながら受験勉強したことも忘れられません。頭ごなしに禁止をするのではなく、生徒ひとりひとりを見て「その子にとって何がいいか」を考えてくれる藤村だから、素の自分で過ごせてました。両親とも、いまだに「藤村で本当に良かったね」とよく話しています。一生の友だちにも出会えたし、最高に楽しい3年間でした。

PROFILE

あらかわ・ちか ●日本大学芸術学部映画学科監督コース卒。10歳で、セルゲイ・ポドロフ監督『ヤクザガール』主演。ルーマニアコメディ・クルージュ国際映画祭・最優秀女優賞受賞。細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』、山田洋次監督『東京家族』他、TBS金曜テレビ「不適切にもほどがある」等、テレビドラマにも多数出演。東京都出身。

プロバスケットボールチーム
「アルバルク東京」運営企画
トヨタアルバルク東京株式会社

2003年3月
藤村女子高等学校 体育コース卒業

高校時代の先生の言葉は、
社会に出た今も、
私の支えです。

中学からバスケ部でずっとバスケの世界にいますが、バスケットに本当にハマったのは、やっぱり藤村での3年間ですね。理由は、なんといっても、顧問の横森先生です。横森先生の 影響が本当に強くて、先生みたいな教員になりたかったから、先生の母校の日体大に進学。 もちろん、大学でも体育会バスケ部一筋でした。ところが、在学中に、学生の日本代表チームに帯同してセルビア・ベオグラードに行くチャンスをいただいた事がキッカケでバスケを支える側の運営の仕事に興味を持つようになって。卒業後は、いくつかチームは変わりましたが、ずっとバスケットボールチームの運営の仕事をしています。 私たちの仕事は、試合当日のスケジュール作成や進行、会場を盛り上げる企画演出、会場全体の安全管理など、バスケット試合の興行運営に関わるすべてです。一試合するのに関わる人数は、250人程度。全員で協力し会場を創りあげていくためコミュニケーションはすごく大事ですね。もちろん準備の過程でリモート会議なども行いますが、私は、できるだけ会って直接話すようにしています。その方が温度感も熱量も伝わると思うので。本気で相手と向き合って熱量を伝えていく。それも、藤村で教わったことです。 高校時代もそうでしたけど、やっぱり人の熱って伝わるんですよね。「嫌なことは率先してやりなさい」「常にチャレンジしなさい」「バスケットを通して相手のことを考えなさい」。バスケットの指導を通じて人との繋がりの大切さ、周りへの感謝、自分自身の信念を持つこと、先生の言葉の中につめられた想いがありました。社会に出た今でも、横森語録はずっと心の支えになっています。先生との出会いに本当に感謝しています。

PROFILE

てづか・あきこ ●東京都品川区出身。中学時代からバスケットボール部で活躍し、区立中学卒業後、2003年4月、藤村女子高校入学・バスケ部入部。2006年4月、日本体育大学体育学部体育学科進学。2010年3月卒業後は、大阪、愛知のバスケットボールチームで運営の仕事に携わる。2020年よりアルバルク東京。

教頭

2022年4月 入職

叱った生徒の
帰り際の表情まで、
想像するかどうか。​

僕は、先生が生徒にどれだけ寄り添えるかというのは、人に対するアンテナを持っているかどうかだと思うんです。例えば、説教した時、その場はみんな「すみませんでした」って言うんですよ。でも、くるっと背中を向けて帰る時に、本当に納得した表情をしているかどうか。不満があるんじゃないか、まだ、聞いてもらいたいことがあるんじゃないか、ということが気になるから、僕は、校門まで見送って、一言声をかけて送り出します。ただ、これは僕のやり方であって、10人先生がいれば十通りのやり方があっていい。特に、私立の場合は、一つの理念があってその元で教育できるので、教師一人一人の裁量が大きいと思います。うちは、先生と生徒の距離が元々すごく近いのですが、さらに、今年からスタートしたふじらぼ予備校では、中1から一流のプロ予備校講師の受験指導が受けられます。この子には全部スケジュールを決めて指導した方がいいなとか、この子は自分で考えさせる方がいいとか、僕たちも一緒になって考えることができる。6年間、その子にあう指導をすれば、偏差値40からでも、十分GMARCHを目指せます。また、藤村では、保護者との距離も近いので、悩み事があればご相談を受けたり、メールやお手紙を頂くこともあります。中でも、卒業する時に頂いた忘れられない手紙があって、実は、僕は、今でもお守りとして持ち歩いているんです。どんなにベテランになっても、その時の生徒を思う気持ちを、ずっと忘れないように。

PROFILE

神田正行 先生 ●藤村女子中学・高等学校 教頭。数学科担当。公立中学校での教員経験もあり、ひとりひとりに寄り添う指導力に定評がある。生徒はもちろん、保護者からの信頼も厚い。「教師になった頃の初心を忘れないように」と、現場を離れて担任を持たなくなった今も、卒業時に保護者から頂いた手紙を、いつもポケットに入れて持ち歩いている。

法人本部
Admission & Marketing Div.​

2024年5月 入職

日本の子どもたちの未来を、
学校から変えていく。

外から見ていると、学校にいる大人はみんな「先生」だと思われがちですが、実は、私学には学校法人を運営している職員もいます。これも、公立との大きな違いです。「先生」という仕事は、生徒のことを思ってやろうと思えば、どこまででもできちゃうんですよね。理想があればあるほど、これで終わりというのがない。だからこそ面白いのですが、それでは「先生」の体が保ちません。世の中の流れに乗って、IT化や働き方改革も進められてはいますが、依然として配布物はすべてプリント、共有は会議で、という古い働き方のままの現場がとても多い。私自身が小学校での教員経験もあるからこそ、先生方には、もっと働きやすい環境で働いてもらって、その分、生徒たちに寄り添う時間を持てるようにしたいんです。藤村では、面接の時に、「今までの学校はできなかったことができる学校を目指して、改革を進めている」という話を聞いて、ここでなら「ITの力で教育現場を変えたい」という私がやりたかったことを実現できると、入職を決めました。​ まだ入って数ヶ月ですが、藤村では、日報も含めて必要なことは、教員も法人本部も全て、Slackを使ってリアルタイムで共有しています。前年度までは、組織が別の法人スタッフと教員は、お互いの仕事内容はまったく見えませんでしたが、今では、日々の仕事の成果が見えるので、尊敬しあう風土が生まれています。ここでは、先生も法人スタッフも、そして、保護者も吉祥寺の方々も、子どもたちを見守るサポーターなんです。

左から
・菊池健太郎 (執行役員)
・青木杏菜 (Admission & Marketing Div.)
・押本愛実 (教諭・理科担当)
・伊藤拓未 (事務長、Admission & Marketing Div.マネージャー)
・神田正行 (教頭、アカデミッククエストコース長、教務部長)​

PROFILE

青木杏菜 ●熊本県出身。小学校6年の時の恩師との出会いをきっかけに、小学校の先生を志す。公立小学校に教員として3年勤務した後、公立での限界を感じ、IT教育系の民間企業に転職するが、やはり学校現場を変える必要性を感じ、学校全体で変わろうとしている本学に魅力を感じて、2024年5月入職。